源平抗争と藤原滅亡

 平清盛は保元、平治の乱(1159)で源氏勢力を滅ぼし政権を得ました。敗死した源義朝の子頼朝は配所で平家打倒を狙いましたが、弟義経は平泉の秀衡の庇護を受けました。

 源平抗争は平家滅亡で終わりを告げましたが、鎌倉幕府を開いた頼朝は天下を制覇し、弟義経までを敵としました。庇護者秀衡は文治三年卒しましたが、泰衝が継ぐが父の器量はなく、同五年義経を衣川館に襲いました。

 源頼朝は官許を得ずに文治五年七月大軍を発して奥州を攻撃して平泉を焦土としました。ここに藤原氏は滅亡します。

 

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更新履歴 新規作成:Apr.1,2004
最終更新日:Mar.29,2006
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