問題克服の処方箋
「循環型社会形成推進基本法」の問題
―定常開放系のエントロピー論の視座から―


第2章 平衡系・孤立系のエントロピー論

 序論で述べたように「循環型社会形成推進基本法」が定める資源循環型社会は,その理論的な視座が極めて不鮮明である。この点を明確にするため,自然法則であり,それゆえ経済及び法律の範疇と大きく整合性を持つ熱力学の第二法則(エントロピー増大の法則)による考察を試みる。
 熱力学の第二法則とは孤立系のエントロピーが,時間の経過とともに増大していくという自然法則である。エントロピーとは物や熱の属性で,物や熱の拡散の程度を示す指標である。物質系の具体的なエントロピー(S)の値は,これを絶対0度まで平衡を維持しながら環境をゆっくり冷却する時,物質系から環境に放出されてくる熱量(q)とその時の環境の温度(T)を順次測定し,q/Tを合計すれば得ることができる(6)。
 自然界では,高温の熱は時間の経過とともに常温になる。この常温となった熱は元の高温の熱源に自然に戻ることは決してない。これが自然の不可逆性の一例であり,これを説明するために物理学者のクラウジウスが,熱と仕事の新たな状態量としてエントロピーを発見し,自然界では時間の経過とともにエントロピーが増大していくというエントロピー増大則を明確化したのである。
 このエントロピー増大の法則を経済学に援用した経済学者たちがいた。ひとりは「来たるべき宇宙船地球号の経済学」で知られるケネス・E・ボールデイングである。
 ボールディングは,1960年にシュレーディンガー著『生命とは何か』のなかで定義された「生命は絶えずつくりだす余分なエントロピーを捨てることで生命を維持している」ことを経済学に応用した。そして「生産は,高いエントロピーをもつ『屑』を他の場所に生み出すという代償をまぎれもなく払ってエントロピーを分離し,高度な秩序をもつ低いエントロピーの『生産物』(商品)を作り上げる(7)」と考えた。
 また,重要な論点として「物質の場合には,エネルギーの場合のようなエントロピーの増大法則は存在していない。エネルギーの投入が許されるとすれば,拡散している物質を集中させることは全く可能だからである(8)」と認識していた。
 ボールディングの論理に従えば,エネルギーのシステムがエントロピー増大の法則から逃れることが不可能だとしても,地球は宇宙とエネルギーのみが出入りしている閉鎖系であるため,たとえば食塩水を蒸発させれば再び食塩と水に分けることができるように,廃棄物はエネルギー投入によるリサイクルをすることで資源に戻すことができる。したがって廃棄物問題はリサイクルで解決することができることになる。
 それに対してボールディングの議論に反駁するかたちでN・ジョージェスク=レーゲンは,熱力学を援用し「生物経済学」を論じた。ジョージェスク=レーゲンも「経済過程は,低エントロピーの高エントロピーへの変換,言い換えれば,再帰不可能な廃物への変換,あるいははやりの言葉でいえば,環境汚染への変換から成っている(9)」と考えた。この点ではボールデイングの議論と同じである。
 しかしジョージェスク=レーゲンは「ボールディングのように『ありがたいことは,物質のエントロピー増大の法則はない』,と言ってしまうこともまったく正確ではない(10)」と,物質にエントロピー増大則が存在しないことには反対した。そのうえで「閉鎖系において物質のエントロピーは究極的に最大値に達しなければならない(11)」と熱力学の第四法則として論じ,「われわれはガラクタだけをリサイクルできるのであって,散逸した物質はリサイクルできない(12)」,「重要な点はリサイクリングが完全ではありえないということである(13)」とリサイクルを否定した。つまり,リサイクルは,廃棄物となった物質を人間の利用可能な形態に戻すことは可能であっても,時間の経過とともに摩耗・劣化・散逸した物質を元に戻すには,厖大なエネルギーと無限に近い時間を要するととらえ,それを否定したのである。
 これをエントロピー論で言い換えれば,エントロピーの発生量の大小の問題になるのである。つまり,資源を取り出すエントロピーと比較して,リサイクルする際に発生するエントロピーが大きければ意味をなさないし,小さければリサイクルは成功したことになる。
 そこでリサイクルではエントロピー増大法則から逃れることは不可能であり,「われわれが最大限なしうることは,資源の不必要な消耗と環境の不必要な悪化を防止するということにすぎない(14)」との結論に至った。
 ボールディングも「エントロピーの法則を物質に応用すれば,物質にはたえず拡散していく傾向がある,ということになろう(15)」と前言を撤回し,「まき散らされたものを収集するにはエネルギーが必要だし,そのエネルギーは膨大なものとなるかもしれない。それゆえ,再利用が究極的な解決策だという,あまりにも安易な想定には賛同できない(16)」と後に,ジョージェスク=レーゲンの指摘に賛成することとなる。
 2人の経済学者が到達した結論として,第1に重要なことは経済過程は非循環的であり,エントロピー増大則により廃棄物が発生することは回避できない。それどころかそれがむしろエントロピーの増大を促進しているのだということである。第2にリサイクルを用いたところで資源枯渇を遅らせることはできるが,将来的に回避は不可能である。そして第3に最も重要なのは,人間にできることは資源をできるだけ節約し,環境の悪化の促進を抑制することだけなのだということである。そして,いつしか訪れるエントロピーが最大値に至る日を待つしかないことになる。
 以上の帰結から,平衡系・孤立系のエントロピー論で経済過程を考察するとき,資源から廃棄物の流れはエントロピーの増大過程であって,廃棄物の発生を防ぐことは不可能となる。そして,将来的には廃棄物の捨て場が枯渇することになる。もちろんそこではリサイクルも決定的な意味をなさない。
 したがって「循環型社会形成推進基本法」の規定する資源循環型社会とこれまでの平衡系・孤立系のエントロピー論を応用した経済過程の論理から,本法は将来的な人間の生命活動の停止が回避不能だとの前提で,廃棄物問題を先延ばしにしているだけの法律ということになる。同時にこの点で第1章第2節で論じた「循環型社会形成推進基本法」の内包する欠陥とこの章で扱った同法の平衡系・孤立系のエントロピー論の理論的視点からの考察は,明らかに整合性を持っているといえる。だが一方ではその立法目的とは整合性を持たないともいえる。近代熱力学で廃棄物の発生メカニズムを分析したうえで抽出された結論は,以上のように同法が人類の持続可能性を促すどころか完全に断つものであるということである。



問題克服の処方箋 近 藤 邦 明氏 『環境問題』を考える より
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更新履歴
新規作成:Mar.16.2009
最終更新日:Mar.16.2009