二酸化炭素地球温暖化脅威説
§8.石油代替エネルギー技術の技術評価

8-1 石油文明とは何か

 現在は動力文明という観点からは石油文明の時代である。その謂いは、『大部分の社会システムが石油エネルギーの消費によって成立している』ということである。基本エネルギー資源が石油であると言っても良い。
 これに対して異論があるかもしれない。例えば、日本において電力供給において第一位は原子力であると。では日本は原子力文明か?答えは単純である。原子 力発電を全て廃止しても、社会システムは成り立つが、石油を使わなければこの社会は全く成り立たないのである。つまり、原子力発電は石油文明の下の一技術 であって、石油文明を超えるものにはなりえないのである。
 より詳しく見ると、ここには二つの意味がある。まず、現在社会が消費するエネルギーのうち、電力によって供給されているエネルギーは全体の半分にも満た ない。電力以外のエネルギーの大部分は石油をはじめとした炭化水素燃料(石油・天然ガスを含む。以下、単に石油と呼ぶ。)である。原子力発電ではこれを代 替出来ない。第二に、電力供給、例えば原子力発電所を建設し、操業していくためにも石油は必須のエネルギー資源である。
 ここで新たな疑問が生じる。もし仮に、全ての社会システムを電気で作動するシステムに置き換えることが出来れば原子力文明はありえるのか?まずこの問題を検討する前に、エネルギー資源の評価について考えることにする。
 社会システムを動力文明として捉える場合、その基本エネルギー資源になり得る必要条件の一つは、あるエネルギー資源が、その資源の持つエネルギーだけで 自らを拡大再生産することが可能なことである。(産出エネルギー量)/(投入エネルギー量)を「産出比」と定義すると、この条件は、産出比>1で表され る。産出比の大きいエネルギー資源ほど優れたエネルギー資源と言うことが出来る。
 石油は圧倒的に優れたエネルギー資源である。100単位のエネルギーに相当する原油を採掘するために投入する石油はわずか1単位程度である(産出比=100)。その後、タンカーによる輸送、原油精製などを行った最終段階でも産出比は10程度である。
 現在の社会システムでは、供給される石油エネルギーの半分以上を直接石油の燃焼エネルギーによって得ている。石油火力発電の産出比は0.3~0.35程 度である。このプロセスに石油を投入した場合の産出比は、10×0.3~0.35=3~3.5となり、目減りはするものの依然として産出比は1以上にな る。石油火力発電というエネルギーを消費するシステムが存在可能なのは、元々非常に優れた石油の能力があるからである。
 原子力発電が基本エネルギー資源になれない本質的な理由は、産出比が石油に比べて圧倒的に劣っており(詳しくは後述するが、産出比が1以下の可能性もあ る)、原子力発電だけで原子力発電を拡大再生産することが出来ないことである。現状では、鉱物の採掘や輸送システムあるいは発電所建設に石油を利用すると いう前提で産出比が算定されているが、電気で作動する代替システムで全て置き換えると、この産出比は更に大きく低下するため、産出比が1以下になることは 確実である。原子力文明はありえないのである。
 同様に、太陽光発電や風力発電などの自然エネルギー発電システムも石油エネルギーなしには自らのシステムを拡大再生産することが出来ないので、動力文明 を支える基本エネルギーにはなり得ない。原子力発電や自然エネルギー発電によって、石油によるエネルギー供給システムを全面的に代替することはあり得ない のである。
 もし石油に代わる動力文明が起こるとすれば、それは第二次石炭文明であろう。条件の良い鉱山では石炭採掘の産出比は40~50程度である。ただ、石炭は 固体という特質から石油に比べて扱いづらい燃料である。そのため、ガス化、あるいは液化技術と組合されることになろう。こうしたプロセスの追加で産出比は 低くなるが、それでも、もともとの優れた能力によって実現可能であろう。
 では、そうすると現実の社会システムを見ると疑問がおこる。なぜ石油火力以外の発電システムが存在するのか?それは、ある条件下において、石油火力以外 の発電システムを利用した方が総合的に見た石油エネルギー利用効率、資源利用効率が高まる場合である。例えば絶海の孤島に灯台を点灯するために太陽光発 電・蓄電池システムを用いる場合などである。あるいは特別な理由、例えば宇宙船のような特殊な環境の場合である。これ以外の理由で石油代替を行うことは石 油とその他の資源の浪費でしかない。
 さて、石油代替エネルギーとして、いわゆるエコエネルギーが存在する価値は何なのであろうか?これは前述の『特別な理由』として、二酸化炭素による地球 温暖化を防止するという使用価値があると考えられてきたからであった。しかし、第一部で検討したとおり、二酸化炭素地球温暖化脅威説は幻想である。つま り、二酸化炭素排出量を減らすという文脈において、既にエコエネルギー導入の必然性は無くなった
 残る問題は、エコエネルギーが石油エネルギー利用効率、資源利用効率において石油火力より優れているかどうかという一点だけである。

8-2 エネルギーコスト分析

 エネルギー供給技術は、その他の工業生産技術と決定的に異なった性質を持つ。発電を含め、エネルギー供給技術は製品として出力されるのもエネルギーであ る。その他の工業製品であれば、製品の使用価値の絶対的な尺度は存在しないが、エネルギー供給技術においては絶対的な技術評価が可能である。つまり、たと え実現可能な技術であっても、「産出比」が1よりも小さい場合、その技術は資源の浪費である。
 エネルギーコスト分析とは、ある工業工程について、その工程を実現するために投入されるエネルギー量に着目した分析手法である。エネルギー供給技術の技術評価の基本的な尺度である。
 例えば、発電システムを考えてみる。前のセクションで述べた技術の全ライフサイクルを考慮した実効的な効率について考えると、火力発電における産出比は0.3~0.35程度と考えられる。つまり、発電という過程はそもそもエネルギーを浪費するシステムなのである。
 石油エネルギーを最も効率的に使うことを考えれば、出来る限り電気でしか出来ないこと以外は、燃料として直接石油を燃焼させることが望ましいのである。これが前セクションにおいて検討したガス湯沸かし器と電気温水器の事例をエネルギーコスト分析から見た解釈である。
 もう一つ例題を考えてみる。ハイブリッド車はどうであろうか?ハイブリッド車ではエンジンという内燃機関で得た運動エネルギーを一旦電気エネルギーに変換した後、また運動エネルギーに変換して走行する。

通常の自動車: 燃料燃焼(熱)↑→エンジン(運動)↑→
ハイブリッド車: 燃料燃焼(熱)↑→エンジン(運動)↑→発電機(電気)↑→蓄電池↑→モーター(運動)↑→

 ハイブリッド車は、通常の自動車より明らかに迂回度が高い。単純に考えるとエネルギー効率は下がるはずである。
 内燃機関は、最も効率的に熱エネルギーを運動エネルギーに変える状態がある。しかし自動車の路上走行では、急激な回転数の変動が行われることによって、著しくエネルギー効率が下がる。
 これに対して、ハイブリッド車では内燃機関にとって理想的な効率に近い状態の回転運動を電気エネルギーに変換して蓄電し、必要に応じてモーター出力を制 御している。内燃機関の回転数の変動によるエネルギー損失と、ハイブリッド車の多段階の変換によるエネルギー損失を比較した場合、どちらの燃費が優れてい るのか、ということになる。
 メーカーはハイブリッド車が優れているとしている。確かに走行時のエネルギー効率だけに限るとハイブリッド車のほうが優れている可能性はある。しかし、 ハイブリッド車の全ライフサイクルを考えて、それを実現するシステム=ハイブリッド車自身の製造段階で一体どれだけ余分な資源とエネルギーの投入が必要に なるのか、あるいはメンテナンスや廃車時の処分まで含めた検討を行わなければ本当の判断は出来ないのである。

8-3 原子力発電

 原子力発電については、室田武氏によって詳細な検討が行われている。室田氏の試算は、米国エネルギー研究開発局ERDAが行った100万kW級の加圧水 型軽水炉の試算をもとに、実際の原子力発電所の操業実態を考慮した補正を行ったものである。ここでは室田氏の試算の結果だけを示す。詳細は原著を参照され たい(室田武著「新版原子力の経済学」日本評論社,1986年)註1)
 試算では、当該原発が廃炉までに産出するエネルギー総量は304億kWhである。熱量に換算すると26.1兆 kcalになる。この産出量に対する石油の投入量は78.3兆~510.3兆 kcalになる。ここに大きな幅があるのは、放射性毒物の保管期間をどう取るかによる。前者はプルトニウムの半減期である24000年、後者は半減期の 10倍の240000年を保管期間としている。エネルギー(投入石油のエネルギー量に対する)の産出比は0.051~0.333≪1.0となり、石油エネ ルギーに代わって原子力発電が基本エネルギーになることはありえないのである。
 これに対して、直接石油火力発電で石油を燃やす場合、304億kWh(26.1兆 kcal)を産出するために必要な石油の投入量は、74兆~87兆 kcalになる(産出比=0.35~0.3)。試算によれば、原子力発電は石油の利用効率においても、石油火力発電よりも劣るのである。つまり石油は、原 子力発電を行わずに、直接石油火力発電所で燃料として使用した方が石油の節約になるという結果になる。原子力発電は石油と資源を浪費するだけのシステムで ある。蛇足であるが、原子力発電は同一の発電量を得るためには、石油火力発電より余計に二酸化炭素を排出するのである。
 この室田の試算に対しては異論があるかもしれない。原子力発電の場合、その操業中もさることながら、廃炉後に残される膨大な放射性廃物の処理コスト(= 安全性の確保)を如何に判断するかによって、その結果は大きく異なる。24000年という保管期間が長過ぎるかどうか、非常に判断は難しい。物理的に考え れば、24000年が経過しても、プルトニウムの毒性は半分にしかならないのである註2)。これを考えれば、保管期間24000年はむしろ短すぎる。しかし、現実的には、プルトニウムを含む放射性廃物を24000年もの間環境から隔離することは技術的に不可能である。
 環境問題という視点から見たとき、原子力発電はエネルギーコスト分析以前に、その操業中、廃炉後に環境に拡散する放射性廃物による環境の汚染、非常に毒 性の強い物エントロピーの環境への拡散という視点から論ずべき問題であろう。わずか数十年間の操業によって途方も無い期間環境を汚染し続ける廃物を生み出 す原子力発電と人間社会は共存できないものである。一刻も早く原子力発電から撤退すべきである。


註1)その後、朝日文庫として改訂・出版された「原発の経済学」(1993年)では、試算の仮定が見直された。改訂された数値は以下のとおりである。
廃炉までの産出エネルギー総量 608億kWh(52.2兆kcal)
原発における投入エネルギー量 81.1兆kcal(保管期間24000年)~513.1兆kcal(保管期間240000年)
石油火力における投入エネルギー量 159.0兆kcal(産出比0.351)~174.8兆kcal(産出比0.3)
この改定値を使用すると、原発のエネルギー産出比は 0.10~0.64<1.0 になる。

註2)現実には、原子炉内で生成されるプルトニウムよりも重い元素の崩壊により、新たに生成される分 があるため単純に毒性は半減するわけではない。10年後よりも10000年後のほうが放射性毒性は2倍程度に増加する。研究によると、天然ウランに対する 相対毒性は、800年過ぎにいったん極小値をとった後に増加し始め、700000年後に極大値になる。これから考えると、試算の上限値として設定された 240000年は、むしろ短すぎる値と考えられる。



※以下、8-4~8-7については、§2-2エネルギーの『石油代替エネルギー供給技術の有効性の検討』を参照されたい。

8-4 自然エネルギー発電
8-5 事例1 太陽光発電
8-6 事例2 風力発電
8-7 事例3 燃料電池および風力発電~燃料電池システム


8-8 すべての石油代替エネルギーは石油と資源の浪費

 以上、代表的な「石油代替エネルギー」あるいは「エコエネルギー」と呼ばれているエネルギー供給技術について検討してきた。いずれの技術も、石油という 非常に優れたエネルギー資源があるからこそ初めて成り立つ、石油文明下の「可能な技術」にすぎないことが明らかになった。これらの技術は石油がなければ成 立せず、全面的に石油エネルギーを代替することは不可能である。それどころか、この「可能な技術」を使うほど、石油とその他の資源の浪費を加速し、目的と は裏腹に、既存の石油によるエネルギー供給システム以上の大量の二酸化炭素の放出と、大量の産業廃棄物の山を作り出すことが明らかになった。
 これは至極当然のことであって、最も優れたエネルギー資源だからこそ石油文明が成立したのである。仮に石油を代替出来るような優れたエネルギー資源やエ ネルギー供給技術があるとすれば、それは多額の研究補助金など必要とせずに自立的に産業化が行われるのである。太陽光発電や風力発電あるいは燃料電池は 「クリーンだが高コストがネック」と言われることがある。しかし、工業生産において『高コスト』であるということは、すなわち資源と石油をそれだけ浪費していることを暗示しているのであり、エネルギー供給技術としては致命的な欠陥なのである。
 自然エネルギーは普遍的に存在するし、その絶対的な賦存量は莫大である。しかし、エネルギー密度は低く、人為的な制御は不能である。このようなエネル ギーを工業的に捕捉し、制御して利用可能にするためには膨大な資源と同時に石油エネルギーの投入が必要となる。自然エネルギーの最も効果的な使い方は、た とえば風車を回して揚水したり、風通しの良い家屋の構造を工夫したり、日向水を作るなどの、伝統的な利用技術の延長線上にある。

 現在の工業技術とは、究極的には石油の利用技術である。工業技術で石油代替エネルギーシステムを構想することは、技術の限界を見誤った錬金術あるいは永久機関の開発に等しい愚行であることに早く気づくべきである。




二酸化炭素地球温暖化脅威説批判 近 藤 邦 明氏 『環境問題』を考える より
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更新履歴
新規作成:Mar.19,2008
最終更新日:Mar.13,2009