問題克服の処方箋
§付録:持続可能性の条件

§3 人間社会の物質循環を制御し,自然の物質循環に繋ぐ

3-1 人間社会もエンジンである
3-2 不況の次の物価高騰を考える
3-3 徴税と規制で社会のエンジンを運転する
3-4 社会の循環を自然の循環に繋げる
3-5 廃棄物の処理法は野生動物に習う
3-6 廃棄物処分場は一切不要

3-1 人間社会もエンジンである

 社会の活動の維持,つまり持続可能性は,環境経済学の究極の目標である。しかし,これまで,これを達成する条件が論議されたことはなかった。したがって,これまでの持続可能性をうたう環境経済学の諸論調は単なる願望であって,どれをとっても持続可能性を保証するものではない。その結果,人間の吐き出す炭酸ガスが社会を滅ぼすとか,資源リサイクルで社会の持続可能性が達成されるとかいうような議論がまかり通ってきたのである。

第3図  エンジンとしての社会


 人間社会も活動を維持するエンジンである。これは,第3図に示すように,①入力としての資源の導入,②出力としての廃物と廃熱の排出が必要である。③としては社会の中を流れる物質の循環が必要である。これは商業による物流がつながって循環になっている。この社会の物質循環も,力学や化学の法則で運動する輸送手段と燃料によって支えられている。
 しかし,それだけでは社会の物質循環は成立しない。輸送手段と燃料が存在するだけでは,商品は移動しない。社会の物質循環では,力学法則と化学法則のほかに,需要があれば供給すると儲かるという商業の法則が満たされてはじめて物質が移動する。これがつながって循環となるとき,社会の物質循環ということになる(9)。
  「儲ける」ことをさも悪いことのようにいうリサイクル運動は,この点でも間違えている。
 この物流が混乱すれば,社会の活動は維持できない。たとえば,不況とは,需要に比べて供給が多いことにより,社会の物質循環が混乱する問題である。この不況を解決するには,まず供給を需要の範囲に抑え,また需要を増やすことが必要である。しかし,一般におこなわれている不況対策はこの逆をしている。
 今回の不況は,消費税の導入,低金利,規制緩和によって,供給を増やし,需要を少なくして一挙に始まった。これらの政策は好況の時にする政策であって,世界的な不況が予想される時にする政策ではない。そして,不況が始まったのに,消費税を増税して需要をさらに減らし,金利を極限のゼロに近づけ,規制緩和を拡大して過当競争させ,供給をさらに増やした。この過剰供給を減らさなければならないのに,貸し渋り対策でさらに供給を増やした。
 不況では,供給を増やさず,需要を増やすことが大切である。この需要を増やすには,ケインズの言ったように「穴掘りをさせて,また埋め戻し,賃金を払う」のがよい。これは確実に需要になる。しかし,穴を掘って埋め戻すことは環境破壊である。
 このような環境破壊をせずに不況対策をするには,たとえば国立銀行を作って,民間銀行から資金を借り,失業者に生活必需品を購入できる程度の失業資金を貸し付けるのがよい。これにより供給を増やすことなく,生活必需品などの基礎的需要が増え,社会の循環はふたたび健全に回り出すことになり,自然に職も増えることになる。
 失業資金として貸し付けた分は,仕事を得て収入を得た時に返金させる。好況になってからの資金の回収は,需要を抑えることを意味し,社会エンジンの活動を制御する施策のひとつとなる。

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3-2 不況の次の物価高を考える

 不況で気をつけなければならないのは,不況の次の段階である。それは,生活必需品の生産者が不況による価格低迷に耐えられず離職し,生活必需品の品不足となって,物価高騰の段階へ移行することである。そのためにも,不況時にも生活必需品などの基礎的需要を確保し続けることが必要なのである。
 また,生活必需品の相当部分を海外に頼っている日本の場合,世界的な不況で生活必需品の輸入価格が下がって,国内の生産者がこれに耐えられず,離職するようなことになってはならない。国内生産者がいなくなった後に,海外での生活必需品の品不足になれば,混乱は止めようがない。
 生活必需品の輸入価格が下がった場合は,輸入関税を高くしてその価格を守ることが必要である。食料など生活必需品については,消費者にとっても「安ければ良いというものではない」ということに,国民合意をとりつけたい。
 さらに,不況が長引くと戦争を誘発することに注意しなければならない。昔の戦争ならば,「国破れて山河あり」だった。戦争は自然環境にはほとんど影響しなかった。第二次世界大戦後,食料など生活必需品の生産はただちに再開され,経済復興を支えた。
 むしろ, 日本の戦国時代のように,その間,肥料を得るための柴刈りや草刈りという環境破壊がないので,傷められた山河は戦争で回復した。世の中が平和だとしばしば大洪水に見舞われたが,大きな戦争が続くと洪水は少なかったという。
 しかし,次の戦争で人間が環境破壊を中断するとはとても考えられない。もっと環境破壊を進めてしまい,復興は困難を極めるだろう。戦争につながる不況を早急に終らせるためにも,需要と供給の関係にもっと注意を払う必要がある。

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3-3 徴税と規制で社会のエンジンを運転する

 これまでは,好況に浮かれてさらなる成長を求め,安売りの過当競争をさせてさらに供給を増やした。人間社会を適切に維持するには,需要と供給の関係という商業法則による物質循環を健全な状態に保つことが必要である。その意味で,需要を超えて供給させないようにするため,「社会というエンジンを制御・運転する方法」としての徴税政策と生産規制・商業規制が必要である。規制は必要があるからなされてきた。これを理由なく全廃することは間違いであり,むしろ環境を守るために新しい規制が必要となっている。
 ところで,一部経済学者の提案により,商業法則を無視して国家が事業をする社会主義的計画経済社会の建設が提案され,その実現が試みられたことがあった。しかし,その壮大な実験が大失敗に終わったことは記憶に新しい。この大失敗について,提案者の後継者たちからの反省的分析がなされていない。
 一方,資本主義と呼ばれる現代社会で,補助金による計画経済が進められてきた。ここでも補助金により国家が商業法則を無視して商品を供給し,その結果過剰供給で社会を混乱させた。リサイクル行政の失敗もこの一例である。補助金が悪いという議論は多数あるが,過剰に供給し,また虚構の需要を作るという観点では議論は不十分である。
 行政の仕事は,税金や罰金を徴収し,経済を規制することだけに限るべきである。行政は直接事業をしてはいけない。
 また,行政は,子供,老人,病人,失業者など自立できない個人を個別に援助するのはよいが,自立する成人や法人を補助金を用いて援助してはいけない。このようなけじめのある行政により,社会の物質循環,つまり経済は健全に運転され,社会は維持されることになる。
 以上まとめると,社会エンジンを維持・運転する(持続可能性)ための社会の循環に関する第一条件は,
「需要と供給の関係に留意し,社会のエンジンを運転・制御すること」
ということになる。

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3-4 社会の循環を自然の循環に繋げる

 人間社会が廃棄物を出すことを率直に認めるべきである。そのうえで,社会が自然から貰う資源と,社会が自然に返す廃棄物で,社会と自然が繋がり,第4図のように大きな物質循環になることが大切である。人間社会の中だけのリサイクルではなく,自然との間のサイクルである。この条件が満たされるとき,人間社会の発生するエントロピーはすべて宇宙に廃棄されて,地表に溜まることはない。

第4図 自然の循環と社会の循環を繋ぐ資源と廃物・廃熱の循環


 つまり,社会エンジンを維持・運転する(持続可能性)ための入力と出力に関する第二条件は,
「社会の循環が,資源の導入と廃物・廃熱の排出により,自然の循環とつながり,大きな物質循環を構成すること」
となる。
 この第二条件に反した社会の活動では,その発生するエントロピーは,自然の循環により宇宙に捨てられることがなく,地球上に溜まることになる。したがって, この第二条件の系として,
「環境汚染は,自然の循環の能力の外に廃物を捨てると生ずる」
が導かれる。この環境汚染は,社会の循環ばかりか,自然の循環をも阻害して,人間社会の存立基盤を壊すことになる。

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3-5 廃棄物の処理法は野生動物に習う

 では,廃棄物をどのようにして自然の循環に返せばよいのか。
 現状では,最終処分場に廃棄している。これでは自然の循環はその廃棄物を処理できない。結局は,汚染物質は処分場からあふれ出して環境に広がることになる。
 この問題を考えるには,野生動物が廃棄物をどのようにしているのか,よく観察することである。彼らの廃棄物は,莫大な食べ残しと糞尿と死体であるが,彼らはその廃棄物をそのまま自然環境に放置している。廃棄物の処理はそれでよいのである。
 これらの廃棄物は,別の生物の資源になっている。そして,その廃棄物はまたその次の生物の資源となり,結局は生態系の循環になっている。廃棄物を出すことは,生態系の活動を維持し,これを豊かにするために必要であって,けっして悪いことではない。

第5図 生態系の循環
 

 これを図示すると,第5図のようになる。この生態系の循環は,入力として太陽光と水を得て,出力として水蒸気と廃熱を出して回っている。廃棄物はそのまま別の生物の資源だから,ここには廃棄物問題はまったく存在しない。
 人間社会もこの生態系の中に入り,資源と廃棄物で他の生物群とつながることが大切である。図中の生物群Aの代わりに,人間社会と置き換えてみればよい。人間も,石油文明の始まった今から30年ほど前までは,このような物質循環の中にいた。それが,今では何故できなくなってしまったのか。不可能になったのかそれとも,方法を間違えたのか。 

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3-6 廃棄物処分場は一切不要

 人間の廃棄物も,野生動物がしているようにできるだけそのままの形で自然に放置することが正しい。そのまま放置できない時は,自然の循環に受け入れられる形に変えて,自然の循環に引き取ってもらえばよい。そうすれば廃棄物処分場は一切不要となり,処分場をめぐって争う必要はなくなる。
  そのためには,廃棄物を次のように処理すればよい。

① 生ごみ
 野生動物がしているようにそのまま生態系に返し,野生動物の餌にする。山や森の空き地に野生動物の餌場を作り,そこに生ごみを放置する。カラスやタヌキがやってきて,処理してくれる。この野生動物の糞により付近の山や森は見違えるほど豊かになる。野生動物の残した廃物は集めて焼却し,灰は土に返し肥料とする。
 生ごみで堆肥を作るという提案もあるが,生ごみの中に含まれる肥料分はわずかであり,投入する労力のわりには得られる肥料は少ない。しかし,生ごみには,野生動物を育てる有機物が豊富に存在しており,これをもっと利用すべきである。この方法は,広い山や森を持つ地方の市町村で可能である。
 小都市では野生動物が少なく,この方法はそのままでは実行できない。その場合は,空き地を探して網で囲い,大量に得られる生ごみでニワトリの放し飼いをするとよい。鶏肉,鶏卵,鶏糞が得られるから,地場産業になる。これは,つい最近までどこの家庭でもしていたことである。それを近くの大養鶏場で再現するだけのことである。
 大都市の場合はそれも不可能であるから,生ごみの処理には方法③を使う。

② 糞尿
 空き地に池や田圃を作り,そこへ流せばよい。鯉や稲などの水性の動物や植物が処理してくれる。これは日本では最近まで普通の方法であった。問題は,寄生虫と病原菌であるが,超音波殺菌など科学技術で対策可能である。臭いは嫌気的状態で発生するから,十分に空気と触れさせて好気的状態にすることでほとんど問題は生じない。

③ 死体,大都市の生ごみと糞尿
 死体については,風葬(鳥葬)がもっとも合理的で,動物の方法と同じであるが,これをどこでもするという訳にはいかない。そこで,死体,大都市の糞尿や生ごみは焼却する。廃棄物に含まれる炭素や水素は焼却で炭酸ガスや水蒸気にして大気に返す。窒素成分は焼却で気体の窒素になる。その他の成分は化学処理する。
 リサイクル運動をしている人達は焼却に反対するが,焼却は物エントロピーを熱エントロピーに変換して,自然に返す有効な方法である。最近,焼却技術は進歩したので, この管理さえしつかりすればダイオキシンなど発生することはない。
 この焼却で生ずる灰は,毒性物質を含まない場合,焼結して固化しレンガにする。ガラス固化してもよい。毒性重金属を含む灰は,熔融固化して不溶性の人工の砂や石にする。
 このようにして得たレンガや人工砂などは土木材料として使用できる。たとえば海に運んで陸地を広げ,また人工湾・人工干潟・人工藻場の材料にできる。もともと固体として自然環境から得た物なのだから,無害の固体にして自然に返すのもひとつの物質循環である。

④ 下水道
 液体廃棄物をすべてまとめて末端の処理場で処理しようとするのが間違いの元である。生活排水はできるだけ発生源の近くで処理すべきである。そしていきなり川へ放流するのではなく,土壌に染み込ませる方法を取り入れる。
 要するに,どぶの復活である。ミミズなど土壌生物がこの汚染水を処理してくれるので,付近の土壌は豊かになる。蚊の発生を抑えるため,水溜まりが生じないようにするか,生じても短時間で消えるようにする。このようにして浄化された排水は地下水となり,河川や海岸の湧き水となる。

⑤ 重金属など毒物
 ヒ素やカドミウムや水銀などの毒物になる鉱物はできるだけ使用を制限する。多少混ざった毒性物質は,不溶性の硫化物に変えたり,熔融固化することにより無害化できる。ここでは科学技術が有効である。

⑥ 放射能
 自然の循環には,この放射能のエントロピーを処理する能力はない。ただ放射能自身の崩壊で,安定原子核と熱になるのを長時間待つだけである。したがって,原子力を利用すれば,放射能が地球に溜まるばかりである。放射能を消滅する研究は失敗した。
 そこで放射能の発生は完全に禁止する必要がある。未だに原子力発電にこだわる人は,科学技術の限界を無視している。
 すでに作ってしまった放射能は,仕方がないので半減期の10倍の時間保菅する。これには防水が必要であるが,地上の建物の中に保管することで解決できる。現在,地下に埋めるなどの乱暴な方法がとられているが,至急中止すベきであろう。
 ただし, この議論は戦争やテロがないことを前提にしている。しかし,この前提が正しいとはとても考えられない。原子力が科学技術だと誤解して,このようなものを利用してしまったことを悔やむ外はない。ドイツが原子力を止めることを決めた理由のひとつがこの問題である。

 以上述べたように,これらの廃棄物問題は,自然のエンジンと社会のエンジンを繋ぐ政策をとることで解決できる。廃棄物処分場はまったく必要がない。
 残るのは,科学技術と国際関係から発生する環境破壊である。

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問題克服の処方箋 近 藤 邦 明氏 『環境問題』を考える より
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更新履歴
新規作成:Mar.6.2009
最終更新日:Mar.12.2009