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  第四節 肝入 

 制度、往古ノ事詳ナラズ。伊達田村両家封内ノ頃、村治ノ事務村肝入役アリテ之ヲ司リ、其下ニ組頭数名ヲ置キ、村内ノ触告等ヲナシ、賞罰裁判ノ権ハ国主ニアリ。村肝入ノ上ニ大肝入アリテ一郡ヲ支配ス。善行者ハ領主ニ具申シテ褒状賞金ヲ下賜シテ褒励シ、犯罪人ハ締役小家主等ノ役アリテ捕縛セリ。大肝入、其是非ヲ糺問シテ領主ノ法庭「評定所」ニ送ル。

 租税
 租税ハ(年貢)穀納ニシテ、所々ニ御蔵アリテ之ヲ納ム。上々田一貫文ニ付キ七石一斗、上下畠一貫文ニ付キ三石五斗、田畠共ニ等級五等ニシテ、上々田、上田、中田、下田、下下田、ナリ。畑モ同ジク五等アリ、貫高ハ上々田一反歩二百文、上田百八十文、中田百六十文、下田百四十文、下下田百二十文、上上畑一反歩百二十文、上畑百文、中畑八十文、下畑六十文、下々畑四十文ニシテ一升一文ノ割ナリ。

 五公五民ノ法
 納税額ハ五公五民ノ法ナリ。毎年歩取ヲ以テ納額ヲ定ム。

 歩取リ
 村肝入ハ終期ニ至リ、田ニ臨検シテ一坪ヨリ何合トイフ収穫ヲ歩取シ(或ハ歩刈トモイフ)、見テ毛揃帳ニ記シテ納額ヲ定ム。領主ヨリハ毎年代官郡奉行等ノ史員ヲ派遣シテ村内ノ状況ヲ視察シ、村治ヲ整理シ、又耕作ノ景況ヲ巡視シテ豊凶ニヨリ年貢ヲ増減ス。

 普請
 河川堤防橋梁ノ工事ハ、領主ハ普請役人ヲ出張セシメ監督ス。

 普請人足
 人足ハ、高一貫ニ付五十五人宛出シ、人足不出ノ時ハ、一人ニツキ銭五十文ヲ納メシム。其上納金ヲ以テ普請材買入ノ費用トス。人足ハ一郡流用ニシテ本村ニ大工事アリテ、人足不足ノ時ハ他ヨリ人足入レ、人夫賃ハ五十文宛ト定マリ居リテ、過出ノ時ハ五十文宛ヲ支払フ。

 肝入給料
 大肝入村肝入ハ、皆世襲タリキ。人民ハ、貫高一貫匁ニツキ銭四十文ヅヅヲ納メ、大肝入・村肝入ノ給料トセリ。是ヲ四銭カケトイフ。

 百姓
 百姓及商工ハ、苗字ナク、帯刀ヲ許サズ。最モ政治ニ容啄スルヲ得ズ。

 五人組
  沿革
 江戸時代、商工業ノ三階級ノ中比隣ノ間ニ於テ五戸ヲ以テ組織シタル自治機関ノ組合ニシテ、其ノ起源ハ孝徳天皇注1ノ時、大化改新政ヲ布キタル後、白雉三年四月唐制ニ模傚シテ初メテ五保ノ制ヲ定メラレタルニアリ注2。五人組制度ハ、実ニ此ノ五保ノ変形発達シタルモノニテ、其ノ初メテ見エタルハ、慶長二年三月三日豊臣秀吉ノ発シタル掟書ナリ(掟書略ス)。
 五人組ハ農、工、商ノ三階級ニノミ施シタルモノニシテ、公家・武家・穢多非人ノ如キハ之ニ加ハラザリキ。而シテ、都府ト地方トハ又稍ニ其ノ規ヲ異ニセルモノアリ。都府ハ其ノ一例トシテ江戸ヲ挙ゲレバ、組合ニ加ハルモノハ一町内家主ニ限リ、月番ニ交互ニ事務ヲ取ル。之ヲ月行事ハ、名主ナキ町々ハ名主代ヲ勉メ、然ラザル者トイエドモ其ノ町内ナル訴願ノ加印検使身分ノ立合図人ノ預リ、消防夫ノ差引、町内ノ修繕、各春ノ間火ノ番、夜廻リ等ハ皆其任ズル所ナリ。
 尚別ニ、店五十人組トイフモノアリ。則チ、店借人中ノ五人組合ニシテ、天和三年正月設ケタレドモ、寛永ノハジメニ至リテ癈シタリ。
 右ハ江戸ノ例ナレドモ其他ノ大ナル都市ニ於テモ恐ラクハ之ト大差ナカリシナラン。

 制度
 而シテ地方ニアリテハ、大小百姓以下、水呑百姓等、社門前ニ至ルモノニシテ一人モ洩レナク其ノ組合ニ加入シタルモノニシテ、江戸ノソレトハ大ニ趣ヲ異ニシ、尚其内ノ一人ヲ撰ビテ長トナシ、コレヲ組頭ト呼ビタリ。又、五人組ト称スレドモ各地ノ戸数必ズシモ五ノ倍数タルヲ得ザルハ勿論ノコトナレバ、サル場合ハ端数ヲ以テ組合トナシ、マタハ他ノ五人組ニ加リテ一ツノ団結ヲナシ等、適当ノ處置ヲトリタリ。組合員ハ相互ノ関係最モ親密ナルモノニシテ、
(一)親戚ト同ジク同組合ノ婚姻及養子縁組
(二)同組合中ノ相続遺言癈着等ニ立合ヒ
(三)同組合中ノ幼者ノ後見人ノ鑑定ニ干與シ幼者ノ財産ヲ管理ス
(四)同組合中ノ不動産入質入賣買等ノ證書ニ連印シ
(五)同組合中互ニ其ノ品行ヲ監督シ善ヲ奨メ悪ヲ押ヘ
(六)組合長ニシテ外泊旅行スル時、及ビ
(七)願訴訟ヲナサントスルモノハ其旨ヲ組合ニ届出デ
(八)同組合中ノ中ニ租税滞納者アル時ハ此ヲ代納スル等ノ義務ヲ負ヒタリ

 右ニ挙ゲタル所ハ、何レモ組合員相互間ノ義務ニ関スル最モ重要ナルモノニシテ、其他吉凶相助ケ災害相救ヒ、組合中ニ違法者ヲ出ス時ハ、組合員皆責罰ヲ受ケタル如キ其関係ノ親密ナル事殆ド親戚ニ異ナラズ。

 五人組頭
 五人組頭ハ、組中ノ長ニシテ、選任ノ方法ノ家格ニヨル者選挙ニヨルモノ、役場ノ任命ニヨル者ノ三種アリシカ如シ。其ノ職務ハ、名主庄屋又ハ一村ノ組頭ノ通知ヲ組合員ニ伝達シ、外ニ対シテ組合ヲ代表シ、其他一般ニ組合共同ノ事務掌ルモノナリト雖モ、組合人ノ共同責任ニ関シテハ、他ノ組合ト異リタル特別ノ責任ナキヲ通例トシタリ。

 五人組長
 五人組長ハ五人組合員ノ遵奉スベキ法令ヲ記シタル簿冊ニ、各組合員、組頭、名主等ガ之ニ背カサルベキ誓詞ヲ記シ、記名捺印シタルモノニシテ、毎年支配役所提出スルノ制ナリキ。起源ハ詳カナラザレ共、寛文年間ニハジマルトイヘリ。
〈備考〉
 五人組制度ニ、此地方ニテハ地理ニヨリ組ヲ作リ、一組一八或ハ一五人位ナルモノアリ。五,六人位ノモノアリタリ。


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注1:孝徳天皇 597-654 大化改新期の天皇(第36代 在位 645-654)。父は敏達天皇の皇子茅渟王(チヌオウ)。母は吉備姫王(キビツヒメノオオキミ)。名は軽。諡名は天万豊日天皇(アメヨロズトヨヒノスメラミコト)。大化改新(645年)直後、即位し、難波長柄豊碕宮(ナニワナガラトヨサキノミヤ)に遷都。皇太子中大兄皇子・中臣鎌子らと共に改革を行った。
注2: 五保は『日本書紀』652年(白雉3)4月条に初めてみえているが。近隣の家(戸)を組織し,相保の機能をもたせ秩序維持を計った制度。中国における周以来の保甲の制を継受した。
養老戸令(9条)では
 五家条: 戸は、皆、5家で相互に保(守)ること。1人を長とすること。以て相互に検察させること。非違をなすことのないこと。もし、遠くの来客が宿留することがあり、また、保内の人が行詣する所があるならば、いずれも、同保に話して知らしめること。
 戸逃走条: 戸が逃走したならば、5保に追訪させること。3年以内に捕らえられなければ、計帳から除くこと。その土地は公に収還すること。収還までの期間は、5保及び三等以上の親類が、均分して耕作・収穫すること。租調は代行して輸すこと。{三等以上の親類というのは、同里に居住する者をいう}。戸の内の口が逃げたならば、同戸が代行して輸すこと。6年以内に捕らえられなければ、これもまた計帳から除くこと。 (現代語訳:官制大観 より引用)。
と有ります。
底本:「復刻 眞瀧村誌」
 2003(平成15)年6月10日発行
発行者 眞瀧村誌復刻刊行委員会
代表 蜂谷艸平
2004年3月10日作成