生きている地球
~ 環境問題を見る視点 ~


その8 『環境技術』をどう見るか

 現在、環境問題の存在は既に広く認知されています。環境問題を改善するために色々な動きがあるのも事実です。では、現在行われている環境問題への取り組み、そのための技術(以下、環境技術と呼ぶことにします)について検討しておきたいと思います。
 現在行われている環境対策は、ほとんど全て工業的な技術によるものです。既にこれまで見てきたように、工業生産システムは閉鎖型のシステムです。たとえそれが環境技術であろうと、この基本的な特徴は変わりません。つまり、環境技術という工業生産システム自体が新たな資源消費を生み、環境にエントロピーを付加することになります。工業生産システム全体を見れば、既存のシステムに新たに環境技術を実現するためのシステムが加わることによって、更に資源消費と廃熱・廃物の増加が加速されることになります。工業生産システムの持つ基本的な特徴に起因する環境問題を、工業技術によって克服しようという試みは明らかに論理的に矛盾しており、本質的な問題解決にならないことは、冷静に考えればごくあたりまえの結論です。以下、もう少し具体的に検討することにします。

工業的リサイクル

 工業的なリサイクルは、有用資源の物質循環を実現しようとする試みです。工業的なリサイクルと生態系の物質循環を比較することによって、工業的なリサイクルには二つの致命的な欠陥があることを指摘したいと思います。
 まず第一に、工業的なリサイクルはそれ自身が一つの工業生産システムだということです。通常の工業生産システムとの違いは、原料資源として一度工業生産システムを通過し、製品として社会に流通した後の廃物を使用する点だけです。

図5 リサイクルシステムの活動
 生態系の完全に閉じた物質循環とは異なり、システムに取り入れられた再資源化された廃物も最終的には地球環境中に廃物として蓄積する。
 廃物は、一般に物エントロピーが高いと考えられるが、ただ単に形状的に割れたり変形している物や、雑多なものが混じっているだけではエントロピーが増加しているとは言えない。エントロピーは分子・原子レベルの拡散・混合の度合いを示す指標である。
 しかし、廃物を再資源化する場合、例えエントロピーレベルは変化していなくても、微細な構造を持つものや形状的に破損していたり、雑多のものが混合しているものは、それだけ再資源化において大量のエネルギーと追加資源の投入が必要になり、処理によるエントロピーの発生量が大きくなる。

 廃物は一般的にエントロピーが高く、また近年の高度な工業生産システムで製造されたものは複合材料が多く、しかも微細な構造をもっています。そのため廃物を再資源化する工程は非常に手間の掛かる複雑なものになります。それは再資源化の工程で新たに投入すべきエネルギー(資源)、および追加資源が多くなることを意味しています。
 また再資源化できるものは、原料資源である廃物の一部分であって、残りの部分は再び廃物になってしまいます。この再度廃物になったものは、非常にエントロピーが高いと考えられ、もはや再利用できずに環境中に物エントロピーとして拡散して環境を汚染していくことになります。
 一般的には、エントロピーの高い廃物から有用資源を回収するのと、原料資源から同じ有用資源を製造する過程を比べると、前者の方がより多くのエネルギー(資源)を消費し、より多くのエントロピーを排出すると考えられます。工業的リサイクルは大量のエネルギー(資源)と追加資源を浪費してエントロピー(特に物エントロピー)を拡大するシステムでしかないと考えられます。地球上に物エントロピーを残さない生態系の物質循環とは全く違っています。
 経済的に見ても、エネルギー資源を浪費してでも原料資源回収をしたほうが良いのは、エネルギー資源が原料資源に対して圧倒的にあまっている場合です。この場合は、原料資源の経済的な『希少性』から原料資源価格は高騰していくことになります。それに対してエネルギー資源が相対的に非常に安いならば、エネルギー資源を大量投入しても廃物から原料資源を回収する意味が生じます。現段階では、回収資源の価格は高く、経済的に見てさえ工業的リサイクルの必然性は全くありません。
 第二の問題は、既に述べたように、工業的なリサイクル過程で、エネルギー資源を『消費』することです。通常の工業生産システムと同様に、エネルギー資源の枯渇でリサイクルシステムは定常的な活動を維持できないのは明らかです。

 以上2点について検討しましたが、工業的なリサイクルは生態系の物質循環とはまったく異なり、あくまでも工業生産システムの一つであり、閉鎖型の活動です。むしろ廃物を扱うため、通常の工業生産システム以上に汚染を作り出すと考えるべきです。
 ここで注意しておかなくてはならないことがあります。かつて廃品回収業として成立していたリサイクル、例えば屑鉄や銅・アルミなどの回収業は、単純に溶解することによって再利用が可能で、明らかに原料資源から新たに製品を加工するよりも投入エネルギー(資源)も、発生するエントロピーも少なく、有効なリサイクルだったと言えます。このようなリサイクルは経済的に見ても商品価値があり、近年政策的に行われている無理なリサイクルとは一線を画すものだという点です。ここで今問題にしているリサイクルは、政策的に行われている環境問題の本質を見失っている無謀なリサイクルです。問題は、リサイクルすることではなく、環境問題を改善することだと言う視点を忘れていることです。

自然エネルギー

 現在、京都議定書の問題が取りざたされていますが、工業起源の廃物のうち、二酸化炭素は比較的問題の少ない廃物です。二酸化炭素は生態系を取り巻く地球環境にもともと存在した物質であり、生態系の第一生産者である植物にとって有用な資源で、生態系の物質循環を阻害する要因ではありません。むしろ二酸化炭素の大気中の濃度の上昇は光合成を活発にします。温室効果が問題視されていますが、その妥当性もはなはだ疑問の多いところです。
 むしろ問題は、二酸化炭素の排出量の増加そのものよりも、石油を始めとする炭化水素燃料の燃焼量は工業生産システムの規模を反映していると考えられること、その燃焼熱が地域的に偏在していることによる地球の大気水循環の撹乱によって異常気象の原因になるのではないかという点だと思います。

 話を元に戻します。石油燃料の燃焼量を減らすという目的で自然エネルギーの利用が注目されています。これは、工業的なリサイクルが物質循環の実現を目指した技術であったのに対して、エネルギーを太陽光によって賄い、工業生産システムを開放型にする試みだと考えられます。既に水力発電は成熟した技術ですが、現在利用が進められようとしている主要な自然エネルギーの利用法は太陽光発電と風力発電でしょう。太陽熱発電は既に実証プラントで大失敗し、話題に上ることもなくなりました。
 太陽光起源の自然エネルギーの工業的な利用の致命的な欠陥は、自然エネルギーを利用するための施設自身を既存の工業生産システムに依存していることです。発電施設はエネルギー資源(主に石油)と原料資源を使って製造される工業製品です。だから、自然エネルギー利用システムは開放型のシステムにはなり得ません。この段階で既にもくろみは破綻しています。問題はそれだけではありません。

図6 自然エネルギー発電システムの活動
 太陽光発電に代表される自然エネルギーを利用した発電システムは、システムの製造、維持、廃棄の過程において、通常の工業生産システムと何ら変わりはない。電気に変換するエネルギーの元として、一部太陽光起源のエネルギーを利用しているに過ぎない。太陽光あるいは太陽光起源のエネルギーを利用しても、必ずしも開放型のエネルギー供給システムにはならない。例えば、木造の水車の動力の直接利用などは開放型のエネルギー技術である。

 例えば、太陽光発電は、太陽光のある波長成分を半導体を使って直接電気として取り出すシステムです。実験室段階では太陽光エネルギーの20%程度を電気に変換することが出来るそうです。しかし、実際に屋外に設置された場合の実効変換効率は1%のオーダーがせいぜいだと言われています。これは既に失敗している太陽熱発電からの重要な教訓です(註:香川県仁尾町でNEDOによって行われた太陽熱発電の実証試験の結果、その稼働率はタワー集光方式で年間14日、曲面集光方式で年間6日。定格出力に対する実効効率はそれぞれ14/365=1/26、6/365=1/61になる。)。
 この変換効率の低さから、太陽光発電から得られる単位電力当たりの投入される石油エネルギー量は既存の火力発電とそれほど大きな違いはないと考えられています。燃料として石油を消費する火力発電と燃料としては石油を一切使用しない太陽光発電で、石油消費量がそれほど変わらないとはどういうことでしょうか?
 太陽光発電の発電量は太陽光を受ける面積に比例する、『土地集約』的なシステムです。平均的に見るとエネルギー消費量は1989年現在で日本の単位平地面積当たり太陽光エネルギーの4%、現在はもう少し多くなっているでしょう。大都市部では数10%になります。太陽光発電の実効効率を高めに見積もって 4%としても、実に日本の全ての平地を太陽光発電パネルで埋め尽くさなければ賄えないのです。過酷な気象条件に耐えるこれほど大規模な発電施設を作るためには、一体どれほどの資源の投入が必要になるのでしょうか?この発電量に対する設備の大きさが致命的な欠陥なのです。
 一般に、自然エネルギーはエネルギー密度が低いため、既存の発電設備に比べて単位発電量当たりの発電施設が圧倒的に大きくなります。石油火力を始めとする工業的な発電設備の場合は、スケールメリットから発電設備を大きくすると単位発電量あたりの設備は小さくなると考えられます。自然エネルギーの場合はスケールメリットが働かないだけでなく、逆に構造を維持するために設備は大きくなると考えられます。更に、自然エネルギーという常に変動するエネルギーを利用するためには、巨大なエネルギー貯めが不可欠になります。これによってますます自然エネルギー利用システムはエネルギー(資源)・原料資源浪費的なシステムになります。これは更なる工業生産システムの規模拡大なしには実現できませんから、全体として工業起源の廃熱・廃物を更に増加させることになります。

 以上、現在の環境技術の目ざす、資源の循環、開放型のエネルギー供給システムについて検討してきましたが、いずれもその理論的な破綻は明らかであり、これ以上の検討は必要ないでしょう。

~ 環境問題を見る視点 ~ 近 藤 邦 明氏 『環境問題』を考える より
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更新履歴
新規作成:Mar.19,2008
最終更新日:Mar.13,2009